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○丹下建三

○先日、亡くなった建築家・丹下健三の葬儀が、東京カテドラル聖アンヌ大聖堂で、おこなわれた。とのこと。参 「詩&物語の或る風景(2229)」 [ カテゴリ未分類 ]
○先日、亡くなった建築家・丹下健三 tange kenzo.の葬儀が、東京カテドラル聖アンヌ大聖堂で、おこなわれた。とのこと。参列者は、約1000名。森英恵・藤森照信・勅使河原茜など、各界の著名人多数参加。磯崎新 isozaki arata. の弔辞は、丹下を「建築そのものの化身」と、最高の賛辞を贈る。また、「豊かさの増す中で、国家・建築も揺らぎ、彷徨している」現在、師の後を継ぎ、邁進する。とも。磯崎新自身、「不肖の弟子」と自称し、後年は、別の<建築像>を、求めた。○が、この葬儀の行われた、「会堂」自体、丹下の手による建築で、その荘厳さ、劇的空間性は、圧倒的力量を誇示している。と。朝日紙の西田健作・記者が記す。○丹下健三とはなにか。である。過日の朝日紙の磯崎の追悼文では、「国家(像)を求めた、建築家」だ。1970年開催の大阪万博の記念的事業が、建築界、時代変化、そして丹下自身の<分水嶺>にもみえる。思想的には、J・P・サルトル的・実存主義の後退から、構造主義・情報革命(論)が、あるいは、「記号論」が、顕在化している。いわゆる70年代の扱い方の問題だ。80年代の日本の経済的躍進と攻勢は、「ポスト・モダン」という自賛的傾向をもつ、趣向的なものに変容した。思考や、思想そのものが、物象化過程におかれることで、「相対化」されていくのだ。思想の思弁性というか、道具化(tool)といってもよい。○ここでは、いわゆる近代建築の、S・ギーデオン風にいうなら、『空間・時間・建築』という、<物質量への信頼>からの離脱の時になる。「時間」「空間」の概念の解体があり、「情報」が、思考の先導をはじめるのだ。ある予兆を認めていうなら、M・マクルーハンの存在が、それに該当する。かれ自身は、ブームという一過性から逃れることができず、「消費」された。が、新しい movement としての、予兆を持っていたのだ。B・フラーや、トム・ウルフの支持を、思い起こすだけで充分なはずだ。誤解を怖れずに言えば、<実体なき予感>だ。いわば、日本の攻勢の時期とは、70年代、そして80年代の中頃までは、「モノ」を、軸とした戦略だ。以後、その価値観は、一変していくのだ。○これらのことと、丹下健三の仕事とを、ラップさせれば、かれの日本国内での「空白期」にあたる。[・・・・]ここから言えることがある。80年代の「日本のポスト・モダニズム」は、「陥入」(*1.)なのだ。「陥入」であることは、この時期に、「バブル経済」「江戸ブーム」「東京集中」が、異常さを持って同時的進行を魅せるのだ。日本研究者や、未来学者が、こぞってこの軽薄な風潮に乗っかかっただけなのだ。○丹下は、日本での仕事に着手する。その仕事の評価を下すことは、この場の役割ではない。(中)


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